長びく不況により、日本の観光業は冬の時代が続いている

長びく不況により、日本の観光業は冬の時代が続いている。バブル期に林立した観光地のホテル経営も厳しく、継ぐ者も無く、静かに廃業をむかえるところも多い。しかしその苦境をM&Aという方法で乗り切ったあるホテルがある。経営者の物語をお伝えする。
◇文:菰田将司

木曽の栄枯を見続けて
東京から車で3時間。中央自動車道を伊那ICで下り、山あいの道を走り抜けると見えてくる木曽の町。東に木曽駒ケ岳、西に御嶽山を仰ぎ、古くは中山道の宿場町として栄えた人口1万2000人ほどの小さな町だ。

更にその中心部から高原の林道を進むと、名門ゴルフコースと大企業の保養所が立ち並ぶ一角にアイボリーの壁に赤い瓦屋根が印象的な、瀟洒な佇まいのホテルが姿を現す。それが、今回お話を伺った「森のホテル」だ。

「50年ほど前、町が払い下げた施設を父が買い取ってスタートしたのがこのホテルです。当時は、古い民家を移築しただけのもので、民宿に毛が生えた程度でしたけどね」

そう話す社長。その頃、日本の高度経済成長の追い風に乗って、木曽の町にも観光客が訪れるようになった。ディスカバージャパン、日本の原風景を求めて、都会から観光客たちがこの山あいの静かな宿場町にも詰めかけるようになる。

賑やかだが穏やかなホテルの毎日。そんな日々を見て成長した社長の心にも、いずれ自分がこのホテルを継ぐんだ、という気持ちが強くなっていた。が、その時は意外に早く訪れた。

http://diary.motekawa.jp/u/?id=ercfgaewr
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「大学2年生の時に、オーナーだった父が倒れた、という知らせを受けまして。急遽学業を取りやめて実家を継がなければならなくなったんです。そこから右も左も分からない状態での経営でしたが、木曽には豊かな自然がありますので、夏にはゴルフ、冬にはスキーと、季節ごとに訪れてくれるお客様のおかげでやってこれました。よく2月・8月は閑散期といいますが、うちは逆でしたね(笑い)」

こうしてスタートした経営だったが、世間は逆に、ゆっくりと停滞期に向かっていた。長野県の観光地利用者統計によれば、木曽町を訪れた観光客数のピークは1994年で、535万人に上る。しかし、その後は前年割れを続け、2000年代に入ると300万人台、そして2010年台には200万人台にまで低迷した。

長引く不況でゴルフ・スキーなどのレジャー客の足が遠のいたのが要因だった。同調査ではスキー客も1992年に137万人だったものが、現在は20万人そこそこと、実に約7分の1まで減少している。

「近くにあったスキー場も先ごろ廃業しました。……来訪客がピークの頃には、どこも羽振りがよかったんです。周りの同業も皆、改築したり増築したりして。うちもその時に、今の形に改築しました。けれど、うちは町の施設を払い下げてもらって開業したという経緯があったので、土地が町からの借地だった。なので、銀行から融資を得るときに担保にならなかった。それでとても苦労しました。多くの人の協力を得て、義父に保証人になってもらい、なんとか銀行から数億の融資を得るまでに、2年もかかりました」

http://blog.crooz.jp/ercfgaewr/ShowArticle/?no=1
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そうして新館を建て、月に数百万円の返済も、返し続けることができた。

「本当に苦しいときは、妻に内緒でカードのキャッシングまで使って。私の給料はゼロ。それでも、うちは客層がよくて。厳しいながらも楽しく、幸せにやっていました。そうして20年、自分もそろそろ引退して第二の人生を考える頃かな、などと思っていた時に、御嶽山の噴火が起こったのです」

木曽町の西にそびえる霊峰御嶽山は、2014年9月27日に突如として水蒸気爆発を起こし、死者58名という戦後最悪の山岳事故になった。現在でも山頂部は登山禁止が続いている。

この噴火によって、木曽町の観光客は激減した。噴火翌年の調査では、観光業関係者の実に94%の人が経営に影響ありと答え、うち39%は死活問題のレベルだと答えている(観光協会調べ)。

「私には娘が二人いるのですが、二人とももう嫁に行っているし、噴火で客足も遠のいている。そこで、M&Aをして事業承継しようと考えたんです。まず、最初に銀行の勧めもあって訪ねてみたのが日本M&Aセンター。けれど、ああいうところは大企業しか相手にしてくれないんですね。『ゼロ円なら買い手が、ということもありますよ。加えて弊社の最低フィー2000万円になります』なんて言われたんで、じゃあ結構です、と。もう銀行に借金はないし、そもそも借金で潰れたなんて言われたくないから今まで頑張ってきた。そういう自負はありますし、譲渡して自分の手出し資金が必要とは……」

M&Aセンターに見切りをつけ、他の方法で相手を探しているうちに巡りあったのが、以前本誌でも取り上げたM&Aサイトのトランビだった。

「偶然知ったトランビを使ってみようと思い、ピックアップ案件という所に登録してみたんです。そうしたら、その日のうちに7件も問い合わせが舞い込んできた。驚きました。1年くらい、色々なところにあたってみても全く話が出てこなかったのに」

そこからメールのやり取りを始め、最終的に3件に絞り、話を続けていった。

「譲渡スキーム、譲渡代金など、複雑なやりとりが続いたのですが、トランビから紹介を受けた事業承継アドバイザリーの田中さんと公認会計士の門澤さんが親身になって交渉にあたってくれて。1年以上話し合いを続けた結果、なんとか、本日つい先ほど、判を押してきました」